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卒中に至る兆候 |
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〜 あの時からそうだったのか 〜 |
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“いつのまにか蝕まれていた”と言うように病気の兆候は見過ごしがちである。それも“病気ではない”と診断されていればなお更である。
最初に思い当たるのは足にむくみを感じたことである。卒中から遡ること8年くらい前で、その前年に私は胆石で胆嚢摘出手術を受けた。術後は適切な胆汁コントロールができないため、脂肪の多い食事の消化能力が低下すること、太りやすくなるので食べ過ぎないこと、などの注意を医師から受けていた。
当時夕方になると足のくるぶしあたりがむくんだが、朝には元に戻る程度であったことから、胆嚢摘出のせいかなとひそかに思っていたに過ぎなかった。 |
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| 奇跡の生還 | ホルモンバランス | |
| 卒中に至る兆候 | ミネラルバランス | |
| ホルモンマジック | 快適なお風呂で・・ | |
| 病棟ライフ | おいしい食事で・・ | |
| 人々のご意見 | 弱アルカリ性に・・ | |
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それから2年経た頃(卒中の6年前)靴が窮屈になった。昨年買った靴なのに・・・足のむくみが原因かなと思っていた。同時に両手指にもむくみを感じるようになった。なぜか帽子が窮屈になったと思ったのもこの頃からであった。
民間病院で受診した私は手足のむくみを訴えた。「血液検査も尿検査も異常ない。夕方から夜にかけて足がむくんでもおかしくない。心臓を上にして直立する人間の宿命だ。病気ではない」と診断され、そんなものかと安心していた。
その翌年(卒中の5年前)手足のむくみが増した。それまで履いていたスニーカーの靴底が剥がれ、ビジネスシューズも買い換えた。以前の25.0pが履けなくなり、店員が26.0p3Eを薦めて「これで自然に伸ばすしかないですね」と言った。やや窮屈だと感じながら我慢することにした。
その2年後(卒中の3年前)起床直後に手の指先にしびれを感じることが時々あった。ひどい時には指の爪が紫色になることもあって不安が高じた。体重も増えて便秘になり、膝の裏が痒くなることがよくあった。そして以前にも増して食欲が旺盛になり“食卓のハイエナ”と我が家で呼ばれるほど成長期の子供をも上回っていた。好きだった焼酎を時として欲しくないと思うこともたまにあった。
ちょうどその頃、知り合った人が送ってくれた占い書をみると私が該当するところに「原因不明の病気になる」と書いてあった。その時点から10年ほど前に職場に訪れたある人が占いに詳しくて「死には至らずも首から上が原因不明の病気になる」と調べてくれたことと一致したことが妙に気になった。再度受診しようと適切な病院を知人に尋ねた。
その翌年(卒中の2年前)には食事の時に舌を噛むことがしばしば生じた。従来“受け口”ではなかったのになぜか受け口になった。前年に抜歯した歯科に行くと「急に歯並びが変わりましたね」と言われた。しゃべる時も舌をかむことがあり不便を感じて相談すると歯列矯正を薦められたが断った。
この頃から明らかに顔つきが変わったと自分でも思うようになった。鏡を見ると鼻も太くなり、むくんだ顔をみるのが嫌になり、写真も撮りたくなかった。
卒中の1年前に郷里の中学卒業35年記念同窓会に出席したとき、人相が変わったと多くの同級生に言われた。ムーンフェイス(満月様顔)で体重も著しく増加していたから、そう言われて無理もない。自分でも分かっていたのでそれを聞くのが嫌だった。
いびきもうるさくなって(睡眠時無呼吸症候群)、郷里に同行した2人の息子から嫌われた。
その翌年(卒中の年)の早春、就寝3時間後には決まったように足のふくらはぎにこむらがえりが起こり、それ以上眠れなくなった。のどの渇きもあり水分をたくさん採るようになった。益々甘い物が欲しくなった。
今だから以上の兆候を振り返れるものの、原因不明の当時は五里霧中であった。
(皆様へのお願い) 上記のように、下垂体腫瘍は専門外の医師が気づかないことが多いのです。このような兆候を周囲の人に感じたら、「こんな事例があった、念のため検診したらどうでしょうか」とお話しいただくのが親切だと思います。(できるだけ相手の立場を尊重した表現で) |
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